更新日:2019年11月5日

別府観音立像(十一面観世音菩薩像)(県指定重要文化財)

 通称別府観音と呼ばれているこの観音像は、平安時代の様式(藤原様式)の影響を受けた素朴な木像です。檜材の一木造りで、豊然上人作といわれています。身丈5尺8寸(約174m)で、伝記によると谷汲山華厳寺の観音像と同じといわれています。毎月18日の午前8時~午後11時の間と、その他8 月10日の千日参り及び2月3日の星供養にも開帳されています。
別府観音立像の写真

木像釈迦如来立像(県指定有形文化財)

 本像は京都の即心院より伝来したもので、京都市左京区嵯峨釈迦堂藤木町の「清涼寺」の本尊釈迦如来像を模刻したもので、特に「清涼寺式釈迦如来像」といわれています。
 清涼寺の本尊は奈良東大寺の僧斎然が永延元(987)年北宋から持ち帰ってきたもので、作風はインドの像に似て中国・日本のそれと著しく異なります。鎌倉時代の初期に「釈迦の古に帰れ」という復古の風潮にのって、この像が盛んに模刻されました。
 普通、如来形の頭髪は螺髪(らはつ)といってブツブツにしますが、清涼寺式では巻紐状に刻み、法衣も偏祖右肩ではなく、通肩とし、首のところまでつめ、衣紋は胸のあたりから波状とあんり足元まで及んでいます。本像は38cmの蓮華座上の立像で、像高50cmです。造顕は鎌倉時代です。
木像釈迦如来像の写真

木造聖観音立像(市指定有形文化財)

 林香寺は、もと安八郡加納にありました。その開基は、行基と伝えられ、法相宗に属していました。法相宗当時の本尊であった木造薬師如来は夢告により旧地に留まり、新たに本尊として祀られた阿弥陀如来と本像聖観音、その他の諸尊像を勧請しました。
 本像は、木造寄木造、蓮華座上の立像で、像高50cmです。顔は豊頬ですが、ひいでた眉と引き締まった目鼻立ちによって、厳しさを感じさせます。行基の作と伝えられていますが、室町期の造顕と考えられます。
木造聖観音立像の写真

十九条聖観世音菩薩坐像(市指定有形文化財)

 身の丈八寸の坐像で室町時代の作です。近江源氏の流れを汲む須田源三経秀が50余歳の時、妻の故郷のこの地に引きこもり一院を建立し、聖観世音菩薩像を安置したと伝えられています。
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陶磁のこま犬(市指定有形文化財・彫刻)

 美江神社に古くから拝殿入口の両側に陶磁製のこま犬が奉納安置されていましたが、1度盗難にあってから、神社内に保存されています。
 このこま犬は、背部の印銘によると、瀬戸の加藤四郎春慶が作ったとされる灰釉狛犬(国・重文、深川神社蔵)を模して、寛政10(1798)年に加藤勘六が作ったもので、18世紀後半の瀬戸窯業の成形、釉薬技術などを知るうえで、極めて貴重な資料とされています。また、高さが50cmもあり、陶磁製としては大きなものです。
陶磁のこま犬の写真

親鸞聖人筆十字名号(市指定有形文化財)

 名号とは弥陀の名前と訳すべきで、六字名号(南無阿弥陀仏)、九字名号(南無不可思議光如来)、十字名号(帰命尽十方無碍光如来-略して帰命尽ということがある)等があります。真宗では仏像と同様あるいはそれ以上に重んぜられています。その成立は鎌倉後期頃です。この名号は真宗開祖親鸞聖人の真蹟です。
「鑑定書」
十字尊号入墨 御長弐尺五寸 右見真大師御真蹟 無疑
慮令拝見者也 常楽台 今小路覚端
親鸞聖人筆十字名号の写真

蓮如上人筆六字名号(市指定有形文化財)

 蓮如上人(応永22年~明応8年)は、浄土真宗中興の祖といわれる本願寺八代の法主です。越前国吉崎に進出して北陸門徒の組織化に成功後、京都山科に移り、講・組を強化、御文章という平易な文章伝道により積極的に布教。明応5(1496)年、大阪の石山本願寺を創建し、本願寺教団の飛躍的発展をもたらしました。
 この名号は蓮如(諡号(しごう)を慧燈大師という)の真蹟であることを、前掲今小路覚瑞(文学博士、京都帝国大学教授、京都博物館館長)が鑑定しています。(所蔵場所:瑞穂市重里)
蓮如上人筆六字名号の写真

千躰仏(市指定有形文化財)

 自然居士は、和泉国日根郡自然田村生まれで、行く先々の寺に泊まって旅をする遊行僧でした。生没は不明だが、大明国師に師事したと伝えられており、鎌倉後期の禅僧であろうと思われ、美江寺で没したと伝えられています。
 自然居士は、遊行の途中、美江寺の地で千躰仏を造立し、現在は瑞穂市田之上の千躰寺に祀られています。
千躰仏の写真

別府細工

 別府細工というのは、天明年間(1781~1789)頃、別府村に住んでいた広瀬清八・茂重郎親子が父子二代にわたって製作した蝋型鋳物細工です。燭台、香炉、文鎮、根付けなど、やわらかな味わいが素晴らしいものです。

別府細工の画像
別府細工
別府細工(梯子燭台)の画像
別府細工(梯子燭台)

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