更新日:2018年6月27日
 三重の伊勢神宮では、20年に一度の式年遷宮(しきねんせんぐう)が平成25年に行われました。
 瑞穂市と伊勢神宮。実は深いつながりがあるのをご存知ですか?

伊勢神宮の天照大神(あまてらすおおみかみ)が瑞穂市に鎮座した伊久良河宮

 伊勢神宮にまつられている天照大神は、今から2千年近くも前、瑞穂市居倉(いくら)の伊久良河宮に4年間鎮座していました。
 このことは、日本最古の正史『日本書記』や『倭姫命(やまとひめのみこと)世紀』等に次のように書かれています。
「垂仁天皇の時、倭姫命に命ぜられ、伊賀、近江を経て、美濃の居倉に四年間留まられ、伊勢に遷宮された」
 垂仁天皇から命を受けた娘の倭姫命が天照大神をまつる地を探し、この地にたどり着いたというのです。
 このように、現在の伊勢神宮に遷宮する以前に、一時的にせよまつられたという伝承を持つ場所を「元伊勢(もといせ)」と呼びます。伊久良河宮跡はそのひとつなのです。
伊久良河宮跡の画像
伊久良河宮跡
伊久良河宮跡の詳しい地図はこちら(グーグルマップへ移動します)

神が宿る石

 伊久良河宮跡の参道を奥へ進んでいくと、本社の東に2つの石があります。この石は御船代石(みふなしろいし)と呼ばれ、神の宿る石という意味があります。たどり着いた天照大神の神輿を御船代石に安置したとも伝えられています。
 御船代石の周辺は神聖なところとして、人の立ち入りを許さない御禁足地(ごきんそくち)(立入禁止の場所)とされています。
 
御船代石の画像
御船代石

天神神社(てんじんじんじゃ)

伊久良河宮跡は、伊勢神宮のふるさととして伊勢神宮から尊崇されており、今でもお使いのかたが参拝にいらっしゃいます。
この伊久良河宮跡のある境内は、明治時代になって「天神神社」と呼ばれるようになりましたが、それまでは「伊久良河宮 天神宮(てんじんぐう)」と称されていました。御船代石の北側には、天照大神、西側には倭姫命がまつられています。

伊久良河宮跡の地元に今も伝わる昔話 

 今となっては昔の話。この村に妙な熱病が流行りました。村の者は寄り合い、子どもたちが入ってはいけないヤブの中を遊び場にしているので、たたりではないだろうかと話し合い、神主さんのところへ相談に行きました。
 神主さんは「そうかもしれぬ。では、あそこを掘ってみよう。悪いもんが出てきたら捨てて、尊いもんやったらおまつりせなあかん。お前らも手伝え。」と言いました。
 村の者は驚いて誰も手伝おうとしません。仕方なく神主さんが、鍬でヤブの中を掘り始めると、何か破片のようなものを掘り出しました。
 村の者がおそるおそる寄って尋ねると「これは、古い鏡の破片じゃ。この鏡をおまつりするから、その準備をしろ。」
 しかし、村の者はたたりをおそれて誰も言うことを聞きません。
「わしが一人でおまつりすることにしよう。」

 仕方なく神主さんが祝詞(のりと)をあげておまつりすると、間もなく村の病気は治まったといいます。

倭姫命と式年遷宮

 伊勢神宮で20年に一度の式年遷宮が平成25年に行われました。歴史的な行事として注目を集め、たくさんの方々が伊勢へ参拝しに訪れました。その伊勢神宮の内宮の別宮に倭姫命がまつられている倭姫宮(やまとひめのみや)があります。皆さんも参拝の際には、倭姫宮に立ち寄ってみてください。瑞穂市との繋がりを感じることができるのではないでしょうか。
倭姫宮の画像
倭姫宮

 伊久良河宮跡は、古代の歴史を今に伝えています。市内にはこの他にも貴重な記録や遺跡が残されています。一度足を運んでみてはいかがでしょうか。

 出典:『こぼたち』 『巣南町史』 


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