更新日:2016年3月15日

美江寺宿場まつり(みえじしゅくばまつり) 

 美江寺宿の伝統や歴史を守るべく、美江寺の自治会が中心となり平成7年に「美江寺宿場祭り」が始まりました。 当時は皇女和宮の仮装行列がありましたが(皇女和宮については「小簾紅園」の項目を参照)、美江神社周辺を歩行者天国とする扇子行列が行われています。
 そのほかにも自治会の子どもたちがふるまう「和宮ぜんざい」や美江寺神社内でのステージなど、楽しいイベントがいっぱいです。
扇子行列扇子行列のようす

開催場所

美江神社(岐阜県瑞穂市美江寺917)

中山道や宿場まつりに関する豆知識

中山道とは?

 江戸幕府を開いた徳川家康は、江戸を中心とした政治体制を確立するために、五街道(東海道・中山道・甲州街道・奥州街道・日光道中)を制定しその整備に着手しました。これは、単に道路を整備するだけでなく通信や物資の輸送を円滑にするための宿場整備や伝馬制の確立をめざしたもので、当初は軍事的色彩を色濃くしたものでした。

 街中を練り歩くようす

美江寺宿(みえじしゅく)とは?

 中山道は慶長7年(1602)東海道の裏街道として67の宿駅(美濃には16宿)が設けられ、それから遅れること35年の寛永14年(1647)4月に美江寺宿は公式設置されました。また、幕府役人や大名たちの宿泊施設に供された本陣の建設は、さらに遅く、寛文9年(1669)のことでした。当時美濃地方には、東に加納宿、西に垂井宿という大きな宿場があり二つの宿場の距離は25キロメートルで、当時の旅人が1日で歩くことができる距離でした。美江寺宿は二つの宿場の間にあった「間の宿(あいのしゅく)」であったため整備が遅れたと考えられます。

 

 美江寺宿は、江戸から56番目にあたり、現在の瑞穂市の中央を流れる五六川は、この宿場にちなんで名づけられました。

 旧中山道を歩くかたがた

美江寺宿の名残

 むかし、美江寺宿であった所を歩いてみると、そのころをしのばせる史跡があります。宿場の入り口には一里塚の史跡があります。一理塚とは、旅人が歩く目安にするために一里(約4キロメートル)ごとに設けられた塚です。

 この一里塚から西に向かうと、街道は美江寺神社前で鍵の手のように直角に南へ曲がっています。現在は三叉路になっていて、さらに西に進めますが、当時は西に直進はできませんでした。

 これ「見付け(宿場の入り口)から本陣が直接見通せないように、また、敵の軍勢の通行を困難にするためでした。他の多くの宿場のつくりもこのようになっています。

 
 このつくりは現在の美江寺でも見ることができ、昔の名残を感じることができます。