穂積駅前で写真を撮る畦地教授
かきりんバスの旅(7) みずほバスをさらに便利に
 学生たちが7月の暑いさなか、期末試験を気にしながら取材に回ってくれたバスの旅、いかがだったでしょうか。連載第1回目に、あたかも不便であるかのように書いたみずほバスですが、実はかなり強力な足として機能することがお分かりいただけたのではないかと思います。特に、穂積駅から遠い見どころである「小簾紅園」や「富有柿母木と伊久良河宮跡」に行って、名所を見て歩くことができたという点は、みずほバスが観光に使える公共交通機関としての潜在力を持っていることを示していると思割れます。
 一方で、学生は様々な改善点も持ち帰ってきました。個々の回では割愛したのですが、取材を行ったのが暑い季節だったこともあり「バス停にベンチや日よけなどの待合施設が欲しい」という声が挙がっていました。今回、学生はバスの発着時間を入念に調べてから調査を行いましたが、それでも取材が早く終わってしまい、狙っていたバスに乗るために時間を持て余してしまうということがありました。地域の方が利用される場合には、乗車直前に家を出るなどの動きをされているのでしょうが、もし「観光でぶらりとバスで回ってみる」と考えた人が利用するとなると、簡易でも待合所は必要となるのかもしれません。このあたり、地域の方にとっても「雨の日はどうしているのか」を聞き取りしてみると、必要性が見えてくるかもしれません。
 学生からは「バスが今どのあたりを走っているかをスマホで見られるようになっていれば、もう少し余裕を持って取材に時間を取れたのかもしれない」という報告もありました。帰りのバスを逃すと、次は夕方まで便がないなどの事情もあり、もし乗り遅れたらどうしようかと気が気ではなかったとのことです。このような位置提供サービスで思い出すのは京都市営バスなどの大都市バスなので、みずほバスでは難しいのではないでしょうか…。と思って市に確認をとったところ、すでに岐阜バスのシステムを利用して、各バス停に運行情報案内がされるQRコードが掲示されているのだそうです(http://www.city.mizuho.lg.jp/1381.htm)。学生も私も全く気づかなかったという不覚ですが、次回取材・利用時には、どんどん活用していきたいものです。
 瑞穂市は車社会であるということが再確認されたこともありました。地域の方から「みずほバスは、ほとんど使ったことがない(車じゃないと不便だから)」という話を伺ってきた学生がいました。また、連載中にもあったのですが(そしてマンポの取材の時も感じたのですが)、バスを降りてからの徒歩での行程で車道を歩かなければならない部分があり危険を感じたという意見も得られています。そこに関連して「バス停が微妙に遠くて車道を歩かなければならなかったので、バス通りに出て手を挙げたらバスが止まってくれれば、とても便利」という意見もありました。こちらも各地のコミュニティバスで取り入れられている方式ですが、確かバス停以外のところに停車するのは法の壁があったはず…。現在の方式を手直しではなく、抜本的な改正が必要そうです。
 学生には「取材に行ってみて、思ったことを書いて言ってくれればいいよ」という指示で連載を持ってもらいました。その中で、みずほバスに対してかなり厳しい意見も出てきました。一方で施策というのは法と金の制限の中で動いており、思いつきで飛躍的に改善されるものではありません。この連載は、裏側で学生とともにアイディアと実現性の関係を教示し、地域経営(地方自治?)の難しさを考えてもらう絶好の機会となりました。読者の皆様にも、実際に動き回ってくれた学生の活動記録から、このまちのバスの強みと弱みについて何かを読み取っていただければ、この連載は意味を持っていたのではないかと思われます。
令和元年10月2日更新
(朝日大学大学院経営学研究科教授・畦地真太郎)
撮影場所:穂積駅前
撮影日:令和元年9月30日
吉田さんと佐藤さんの写真
かきりんバスの旅(6) 旧美江寺宿
 今回は畦地ゼミ2年の吉田と佐藤が連名で「バスで美江寺に行けるのか」という検証を行います。
 当日の天候は前日まで雨ということでしたが、検証当日には青空が広がっていました。梅雨の時期には珍しい青空だったのでやる気も出てきました。二人が住んでいる自転車競技部の寮から一番近い稲里のバス停から乗車して十七条のバス停で降り、そこから徒歩で美江寺駅まで行きました。約30分で着くことができました。バスを降りてからの道はかなり狭く、昔から道が変わってないことがわかりました。美江寺駅からまた少し歩いて美江寺観音堂に向かうことになったわけですが、気づいた点がいくつかありました。
 一つ目は道が狭いわりに車の交通量がとても多いこと。ここは旧中山道で,今も大野町の方へ抜けていく主要道路となっているようです。歩道も無いため小さな子供を連れての観光は危険だと思いました。
 二つ目は、旧美江寺宿は街並みが昔ながらの古い町並みでとても落ち着いた雰囲気のところでした。そのため大人が観光してみたら楽しいのではないかと思いました。周辺にある建物はかなり年季が入っていて、とても時代を感じるものでした。あちこちにある観光案内看板や解説だけではなく、新聞店の窓に「(美江寺に)縁のあったこの人たちは誰でしょう」というクイズが貼ってあって面白かったです。町の人たちが色々工夫しているな、と思いました。
 目的の観音堂に着いて、よく見てみると思っていたよりも小さいお堂でした。屋根の装飾がとても綺麗で、左の写真の通り、藁草履も立派なものでした。とても不思議な雰囲気をもった場所でした。一緒に行った二人でしっかりとお参りをしてきました。時間があればぜひ行ってみてください。
令和元年9月25日更新
(朝日大学経営学部2年・吉田晏生・佐藤譲士郎)
撮影場所:美江寺観音堂
撮影日:令和元年7月中旬
伊久良河宮跡で自撮する大塚さん
かきりんバスの旅(5) 富有柿母木と伊久良河宮跡
 畦地ゼミ所属の大塚悠矢です。
 今回は瑞穂市が運行しているみずほバスに乗って市の観光名所に行けるかの検証をしました。私の担当は富有柿母木と伊久良河宮跡(いくらがわみやあと)です。
 穂積駅から乗車し、居倉公民館前に降りると、何やら大勢の人がいました。偶然その日は納涼フェスティバルの開催日だった様です。祭りのスタッフの方々はとても親切で、伊久良河宮跡までの案内だけでなく、周辺の土地の歴史など、様々なことを教えてくれました。
 伊久良河宮跡は三重の伊勢神宮と深い関わりがあります。今から二千年ほど前、垂仁天皇の時代に伊勢神宮に遷宮する前はこの地に一時的に祀られていたそうです。地元の方曰く、瑞穂市の史跡第1号(現在は違うとのこと)に選ばれるなど、とても歴史のある名所となっています。
 みずほバスについても色々とお話を伺いました。何人かの地元の方にお話を伺ったところ、みずほバスを利用していると答えた方は1人しかいませんでした。その方はイオンや市役所などに行く際にたまに利用しているとのことで、利用の理由は、やはりどこまで行こうと100円で利用できるというお得さがあるからだそうです。ですが本数の少なさもあり、その方が年々利用する回数は減っているとも言っていました。
 今回は幸いにも地元の方と交流でき待ち時間なども楽しく過ごすことが出来ましたが、やはり約1時間に1本の本数は厳しく感じました。市外からの利用の場合で電車が遅延などでバスの時間に間に合わなかった場合、1時間待つことになってしまいます。実は今回の調査の前に1度それを体験してしまい、上の内容は2度目のチャレンジです。みずほバスを利用しての名所巡りは少し厳しいと感じました。
 最後に、公民館で色々なお話しを聞かせていただいた居倉地区の皆様、本当にありがとうございました.
(担当教員:畦地より)大塚から話を聞きましたが、自治会の大切な行事に飛び込みの学生を温かく受け入れてくださいましたこと。また色々ふるまっていただいたとのことで、厚く感謝と御礼を申し上げます。
令和元年9月18日更新
(朝日大学経営学部2年・大塚悠矢)
撮影場所:伊久良河宮跡
撮影日:令和元年7月中旬
小簾紅園で自撮りする白木さん
かきりんバスの旅(4) 小簾紅園
 前回はトップバッターが当たって緊張していた白木です。2回目の記事ということで、前より少しリラックスしています。
 7月4日にバスで小簾紅園に行きました。この日の朝方は曇りでした。しかし穂積駅から呂久までの穂積バスの時間が合わず、1時間ほどベンチで待機している間に曇りからすっかり晴れに変わり、前回のマンポ散策より暑くなっていました。
 小簾紅園は市の指定史跡です。ゼミで最初に担当決めをしたミーティングでは漢字が読めませんでしたが(“おずこうえん”です)、無事に辿り着き、帰ってくることができました。最も近い「呂久」バス停は小簾紅園駐車場にあり、特に迷うこともなく到着しました。
 小簾紅園は自然がとても多く、植物が沢山あり、コイが泳ぐ池もある落ち着いた公園でした。石碑には「おちていく 身と知りながら もみじ葉の 人なつかしく こがれこそすれ」と刻まれています。これは仁孝天皇の第8皇女和宮が徳川第14代将軍家茂公に嫁ぐため呂久川を御座船で渡る時に詠まれたそうです。私も植物の色鮮やかな緑を見て穏やかな気分になりました。次この公園に来るときは是非とも紅葉が見れる秋に来たいものです。
 帰りのバスは、たまたま1時間強後に出発する便に乗ることができ、大丈夫でした。ただ、時刻表を見ると、もしそれを逃すと次は3時間後にしか来なかったようです。先生からは事前に「呂久は遠いので、バスに乗り遅れたり、何かあったらタクシーで帰ってこい」と指示を受けていましたが、本当にそうなるかもしれないところでした。
令和元年9月11日更新
(朝日大学経営学部2年・白木亮輔)
撮影場所:小簾紅園
撮影日:令和元年7月中旬
興禅寺で自撮りする安江さんの写真
かきりんバスの旅(3) 向かい地蔵と興禅寺
 畦地ゼミ2年の安江真里です。今回の調査のテーマは「みずほバスを使って瑞穂市の名所を回れるか」です。私の担当は、十九条、古橋にある「向かい地蔵」、同じく十九条にある「興禅寺」です。
 向かい地蔵とは、その名の通り、川を挟んで向かい合っている2体のお地蔵様のことです。古橋(西側)はがっしりとした男性のお地蔵様、十九条(東側)はお化粧をした女性のお地蔵様です。川を隔てて夫婦となろうと誓いあった若い男女が、結婚を反対されたことで思い悩み、体を紐で結んで川に身投げするという悲しい結末を迎えてしまいました。そんな二人の幸せを祈り建てられた、という言い伝えがあります。
「興禅寺」には、川崎平右衛門の墓碑があります。
 川崎平右衛門とは、水門を造り、市民を水害から守ったことで有名な人です。 1694年3月15日、武蔵国多摩郡押立村(現在の東京都府中市)の農家の子として生まれました。若い頃から、武蔵野新田開発で優れた手腕を発揮すると、私財を投じて貧窮の農民を助けるなど、村民からの信望を集めました。こうした功績が幕府に高く評価され、寛延3年(1750年)に美濃代官(本田陣屋)に任ぜられ、美濃国4万石を支配しました。
 当時、宝暦の治水(治水とは、水害・土砂災害から人間の生命・財産・生活を守るための事業、堤防、ダム、護岸など)により、長良川の水位が上がり逆流したことで水害が発生し、流域の村々を苦しめていました。そこで、代官となった平右衛門が問題の解決のために奔走し、牛牧の五六川口に逆流防止の水門の建設許可が下りたため、工事を始めました。こうしてできた水門は、八百町步の田畑と九百戸の農民を水害から守りました。また、堤防に桜を植えて農民の憩いの場をつくり、人々の生活を豊かにする民政を行いました。
 後に近隣の村の代表が武蔵国に出向いて受け取った形見を興禅寺に埋め、その徳をたたえられて建てられたのが川崎平右衛門の墓碑です。
 今回、この2ヶ所をみずほバスで行ってみました。私は、日曜日の11時10分に穂積駅を出発し、11時21分に「古橋」のバス停で降り、堤防を歩いて向かい地蔵へ行きました。見学を終えて、十九条側の堤防を南へ行き、住宅街を通って興禅寺へ行きました。
 その後、東へ行き、「防災センター」のバス停(11時47分)でバスに乗る予定でしたが、時刻までに間に合いませんでした。幸い、自宅から近かったため徒歩で帰りましたが、このバスを逃すと1時間ほど待たなければいけない状況でした。見学に要した時間は、2ヶ所合わせて10分程度です。考えようによっては1時間あるので、ゆっくりと見学ができたかもしれませんが、この時は最短の所要時間でバスに乗れるかを試していました。
 さて、「防災センター」のバス停への周辺の道は理解していたため、最短のルートで行きましたが、間に合いませんでした。十九条側の堤防をそのまま歩けば時間短縮には繋がりますが、草が沢山生えている上、途中で樽見鉄道の線路(踏切なし)を渡る必要があるため、その道は使いませんでした。
 先生から「地元民だから道が分かっているだろう」「バスが使えないときはそのまま帰宅していいから」との指示で調査地を指名されたのですが、道の複雑さ、バスの時間を考えて、初めて訪れた人がみずほバス一つで向かい地蔵と興禅寺の両方を最短の時間で回るのは難しいと感じました。
令和元年9月4日更新
(朝日大学経営学部2年・安江真里)
撮影場所:興禅寺
撮影日:令和元年7月中旬