雪道を背景にしたかきりんの写真
日本かきりんの旅(5) 大内宿(福島県下郷町)
 実は大口大領(おおぐちたいりょう)の取材は「せっかく会津まで行くのだから」と、奥会津・檜枝岐村の取材とセットでした。そこから会津若松方面へ向かう国道沿いに「なんとか街道なんとか宿」の看板が。「はは~ん、どこも旧街道とか旧宿場町を使った町おこしで大変だな…」とか無視して通過したのですが…。なんと日本有数の古民家スポット、下野街道大内宿ではないですか!会津若松の投宿先で気づいて、大慌てで翌日の予定を変更して取材に向かったのでした。
 当日は、かきりんに積もるほどの雪。しかもカーナビが国道を通るルートを表示せず、路面の凍った旧下野街道(のダム沿い新道)の峠道を堪能することができたのでした。そりゃ、イザベラ・バードも日記で愚痴るわ!(バードが実際に通ったのは、1本西側の峠。ちなみに著書「日本奥地紀行」には富岡観音近辺と思われる描写あり)
 岐阜の人は、写真からすぐに世界遺産白川郷を思い出すと思います。白川郷は「大小100棟余りの合掌造り」(観光協会Webサイトより)、大内宿は観光協会の案内地図で数える限りは50棟前後の茅葺き屋根の旧家が残っています。どちらも町並みを貴重な地域資源として捉え、防火や補修を始めとした家屋保存対策が講じられています。行楽シーズンのオンタイムは観光客でごった返すのも同様のようで、当日は「どこまで雪の山道なの?」と思っていたら「この先渋滞に注意」の看板が見えて、目的地を知ったのでした(でも、そこからまだ3kmぐらいあった…)。大きな観光駐車場に車を停めて徒歩で見学するのも、両者同様です(当日は荒天早朝だったせいか、一番乗りでした…)。
 大内宿は白川郷よりも規模が小さく、写真で見えている範囲を往復すると見学は終わりです。旧街道の表通りを外れると、裏手には現代的な家屋が建ち並んでいます。冬期以外は、すべての家が食堂、土産物屋、カフェなどとして営業しています。それでも深閑とする雪の中、江戸時代の人の流れやバードの旅に思いを馳せることができました。
 さて、長々書いてきたのは他でもない。旧中山道美江寺宿のことなのですね。近年、5月の“美江寺宿場まつり”が年々盛り上がり続けている(それこそ当日は「渋滞注意」的な雑踏になっている)のは嬉しくめでたいことなのですが、残念ながら日常は閑散としています。地域の方も、なんとか活性化できないものかと知恵を絞っています。
 そこに勝手にくちばしを挟むのも心苦しいのですが…キラーコンテンツとなる食べ物が有効なのではないかと、大内宿で考えました。蕎麦好きの方はご存じかと思いますが、この宿場は“ねぎそば”(高遠そば、祝言そば、一本そば)で有名です。簡単に説明すると、かけそばの上に(太目の)長ネギが渡してあり、そのネギ一本で蕎麦をすすりこむ(そして薬味としてネギをかじる)という料理です。近年はテレビや劇画で紹介されたこともあり、訪れた多くの人が賞味するとのことです。
 ところが、なぜネギ一本で食べるのか?ということについては、諸説あって判然としません。よくある“料理の持ち込み説”「保科正之公が前任地の高遠から持ち込んだ」という
 ものから、「ネギを“切る”のは縁起が悪いから」「子孫繁栄のまじないから」など、本当に様々です。…ということは「起源は後付けでいいから、とにかく名物料理を作ってしまおう」。美江寺宿にふさわしい料理は何かないでしょうか?
 地域の菓子なら“みょうがぼち”が最有力。そこに「皇女和宮さまが賞味され、お褒めにあずかったと伝えられ」(あくまでも“伝えられ”ているのがミソ)とつければ良い気がするのですが。料理は何かあるでしょうか?嘘のように雪が上がり、乾いた国道を帰る道々考えていたのでした。
令和2年1月23日更新
(朝日大学大学院経営学研究科教授・畦地真太郎)
撮影場所:大内宿(福島県下郷町
撮影日:令和元年12月下旬