汽車まつりの写真
第64回みずほ汽車まつり
(連載の途中ですが,今回は2019年8月17・18日に開催された「みずほ汽車まつり」についての話題を,安江・大塚2名による原稿を畦地が編集する形でお送りいたします)
 みずほ汽車まつり(以下,汽車まつり)は今年で64回を迎え、瑞穂市の代表的なお祭りです。今年は某花火大会が延期で日にちが被ってしまっていたため、参加者が少ないんだろうなと思いながら、安江と大塚の2名で土曜日の7時半頃に参加しました。ところが、予想よりもかなり多くの人が参加しており驚きました。安江は小学校の頃から汽車まつりに行っていましたが、当時に比べても、かなり賑わっていたと思います。これは、瑞穂市の人口が増えているせいなのかもしれません。ステージ上のイベントは若さが溢れていました。参加者も小中学生だけでなく、私たちと同じくらいの年代の方達の姿も多く、市民から愛されてる祭りだなと感じました。
 そんな汽車まつりですが、果たしていつ頃から始まったのか、単純に64年前からなのか、ということが気になったため、主に安江が中心となって調べてみました。
 汽車まつりの始まりは第二次世界大戦後、1956年とのことです。やはり64年の歴史があるようです。戦争ため若者は兵隊に取られ、敗戦後に故郷へ帰っても何の喜びもありませんでした。そこで、帰郷したこの人たちが中心となって「青年団として活動する」ことになり、「穂積で、皆の憩いとなる行事を計画しよう」と取り組んだのが汽車まつりの元祖となる祭りです。当時の祭りは、のど自慢や演劇(素人芝居)が中心でした。
 しかし、若者が町外へ働きに出るようになり、青少年活動も弱体化してしまいました。そんな時、「鉄友会(穂積駅を利用して、国鉄に勤務していた人達で作った組織)」の人達が、貨物ホーム付近で映画を上映したことや、小学生の写生や習字の展示をしました。さらに、この年が丁度「穂積駅開駅60周年の年」だったこともあり、鉄友会が「穂積町としても協力してほしい」と頼んだところ、当時の町長から快諾され穂積町の行事として取り組むことになりました。具体的には、「駅北の汽車みこし(現在はSLの模型機関車になった)」、「駅前のお化け屋敷」、「本田小学校の生け花や書道展」などです。この行事でも多くの町民が参加することが明らかとなり、この年以降は商工会が主催するようになりました。こうしたことがあり、汽車まつりは穂積町全体の祭りとなりました。
 今回汽車まつりの起源について調べてみましたが、第2時世界大戦の時期に登場していたこと、町ではなく、鉄友会という組織が汽車まつりの元祖となる行事を行なっていたことなど、今まで知らなかったことが沢山ありました。大塚は市外から大学に通っているのですが,また来年もぜひ参加したいと思っています。
(朝日大学経営学部2年・安江真里・大塚悠矢)
撮影場所:穂積庁舎前