かきりん初詣のようす
ちょっと気になる瑞穂だね(3)市内のお伊勢さまに初詣
 あけましておめでとうございます。皆様は、どちらへ初詣に行かれましたか?
 かきりんは居倉天神神社にやって来ました(撮影日:11月24日)。初詣というよりは御供え物のようになってしまっていますが、かきりんは柿だからいい…のかな…?
 この神社は明治初期に天神神社と改名されていますが、元来は元伊勢・伊久良河宮と推定される由緒正しい聖地です。皇室の祖神とされる天照大神(あまてらすおおみかみ)さまが、なぜ大和の国(奈良県)を出て、フラフラ各地を漂泊したのかについては謎とされています。中には、ここに書くにも憚(はばか)られる、古代の権力争いというか神様同士の壮絶な政争を示す説もあります。
 資料によって若干の差異があるようですが、天照大神さま(を奉じる倭姫命(やまとひめのみこと))は、天橋立のあたりから岡山県、奈良にお戻りになったかと思うと伊賀から琵琶湖畔を抜けて、美濃の伊久良河宮に到達します。ちなみに伊久良河宮(いくらがわのみや)と比定される神社は幾つかあるのですが(安八町の名木林神社および宇波刀神社)、後述する関連伝承や地勢(中山道より北側で水害が少ない地域)などを踏まえると、ほぼ瑞穂市の“伊久良河宮跡”で間違いないでしょう。これも資料によって異なりますが、大神さま(命さま)は4年間鎮座ましました後、尾張国に旅立ってしまわれます。つまり伊久良河宮は、美濃国唯一の元伊勢ということになります。
尾張国に渡る際に船待ちをした場所が、現在の生津地区であると言われています。生津と言えば、生津豊受社(外宮)・生津神明社(内宮)があり、「外宮町」「内宮町」があります。現在でも両社では一体となって、お伊勢様と同じ祭礼が行われています。これが元伊勢の関連伝承です。居倉の天神神社には、ご神体(岩)しか残されていませんが、生津の祭礼は今に至る生きた元伊勢の証拠というわけですね。余談ですが、生津には「天王町」(北方町の大井神社(主祭神・牛頭天王(ごずてんのう)/素戔嗚尊(すさのおのみこと))付近から流れる天王川に由来)まで存在して、天つ神の霊地と言ってもいいような地区となっています。
 以前にも書きましたが、条里制の名残が残るこの地域は、親・大和朝廷の地域だったのでしょう。ではなぜ伊久良河宮が大神宮様にならず、伊勢にその地域を譲ったのかというと…やはり朝廷内部でのドロドロとした(実戦も含む)権力闘争があったようです。岐阜県神社庁のサイトで調べていただくと分かるのですが、この地域、大国主命(おおくにぬしのかみ)を祀っている神社って異様に少ないんですけどね(ああ、名前出しちゃった…)。
美江寺といい、元伊勢といい、現在もこの地にあれば一大観光スポットとなっていましたね。もしかしたら赤福の代わりに“みょうがぼち”が、日本に名だたる菓子となっていたかもしれません。
(朝日大学大学院経営学研究科教授 畦地真太郎)
撮影場所:居倉天神社