美江神社前に現れたかきりんの写真
かきりんがくる(1)NHK大河ドラマがくる
 2020年のNHK大河ドラマは、明智光秀を題材とした「麒麟がくる」に決定しました。ご当地武将の明智光秀と共に、斎藤道三・織田信長を中心とした群像劇になるとのことで、岐阜県・岐阜市とも観光誘客絶好のチャンスと浮き立っています。
 瑞穂市も負けてはいられません。
 あまり知られていませんが、瑞穂市内にも戦国時代にゆかりのある地名・遺構が多く残っています。この連載では、そんな戦国の風を感じさせる様々な場所を、瑞穂市のマスコットキャラクターかきりんと共に回っていきたいと思います。名付けて「かきりんがくる」。今回と次回は、戦国と言っては忘れてはいけない「美江寺」についてお伝えします。
 なお、この連載は便乗企画であり、実在の日本放送協会とは一切関係ありません。
 この写真ニュースでは、過去に「中山道美江寺宿」の昨今について取材をし、発表してきました。「美江寺あれこれ聞き歩き(3)美江寺という名の由来とは?」(http://www.city.mizuho.lg.jp/dd.aspx?itemid=5495)には、元正天皇の勧請による治水祈願の美江寺観音の由来と、斎藤道三による現岐阜市内への美江寺の移設についての説明があります。そもそも「美江」という言葉には「美しい川」という意味合いがあり、川の氾濫に悩まされた地域に鎮めをもたらすような意味合いが込められています。
 元正天皇について改めて調べてみましたが、美濃に関わりが深い女帝であり、また律令時代の様々な事跡を成し遂げた天皇とのことです。国史大事典に簡潔に述べられているのに従えば、多度山に行幸され美泉の効能に心を打たれ「養老」と改元しました。昨年は盛り上がっていましたね。養老2年には藤原不比等らによる「養老律令」の撰修、7年には「三世一身法」発布という、センター試験日本史選択受験生を悩ませるために行動されたかのような天皇です。逆に言うと、律令時代の地固めを行った重要な天皇であるということでしょう。なお次代が「奈良の大仏」造立で有名な聖武天皇で、古代仏教興隆の時代背景があったとも言えます。
 なぜ元正天皇が美濃に心を寄せたのかについては、有力貴族の地盤であったからという説があるのですが、地域が大和朝廷にとって無視できない場所であったことは間違いありません。元正天皇の祖父である天武天皇が美濃・尾張系の豪族を糾合して壬申の乱に勝利したこと、地域に残る条里制の痕跡など、美濃は古代の朝廷にとって重要な地方であったことは間違いないでしょう。その中の大きな事跡として、治水祈願の十一面観音菩薩像を本巣郡十六条、古中山道の要地にお移しになったということです。
 その後の(十六条)美江寺の盛衰についても様々な成り行きがあるのですが、平安時代の最盛時には多数の僧坊を連ね、北方町の円鏡寺と比肩する、近隣でも有数の仏閣・霊場となっていたようです。美濃守護土岐氏の尊崇を受けたという記録もあるのですが、それが斎藤道三に目をつけられる原因となったのでしょうか…。これについては次週くわしくお伝えいたします。
 ところで、瑞穂市内をはじめ、条里制の名残は地名に残っています。一番南が十九条、北が本巣市の十四条のように思えるのですが…一条ってどこにあったのでしょうか?一応、根尾谷開口部(石山のあたり)が「一条一里」の起点になっているとのことで、そういえばあの辺りには立派な古墳群が存在しています。ただ、大野郡や方県郡の条里制との整合性(条と里が食い違っている郡境が明確ではない)の論争などもあり、当時の地域の政治的な様相、さらには地域の生活の有様などについては、まだ明確にはなっていないようです。
(朝日大学大学院経営学研究科教授 畦地真太郎)
平成30年10月10日更新
撮影場所:美江神社前